Oct
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地震の次の日、原子炉1号機の建物が爆発した。2日後には第3号機の建物の屋根が吹き飛んだ。その次の朝、原子炉2号機と4号機の爆発が起こった。爆発により放射線が煙の柱となって舞い上がったが、政府は事故の規模も放射能がどのように沿岸部に広がり、福島市、郡山市、そして東京に降り積もったのかについても情報を隠蔽した。
放射能施設関係者や救急隊員にも何も知らされなかった。筆者は、除去作業員にインタビューするために、発電所の南の沿岸町、いわき市に車を走らせた。地震の後、T 氏は福島第一発電所から避難し、約2週間後に戻り、放射能封鎖活動に加わった。
「何も情報はもらえませんでした。」と、匿名を希望するTさんは言う。「誰もメルトダウンの事は口にしませんでした。危機的な事故に際しての訓練も指導も受けませんでした。でも、みんな、事態が非常に深刻なのは知っていました。自分も、これが最後の仕事になるかも知れないと思いました。馬鹿げて聞こえるかもしれませんが、家族と国のために全てを捧げた神風特攻隊のように感じました。」
Tさんは3月以来、50ミリシーベルト被爆した。政府の以前のガイドラインによると、これは1年間の許容被爆量にあたる。
「福島の惨事:未だ何も終わってはいない」英ガーディアン9.9付記事全訳 | Genpatsu (via tsuda)(via kiri2)